発行2006年4月1日  No.33
学士会報1月1日付けの会報に代表理事の松田恵明先生のエッセイが掲載されました。全文をご紹介いたします。

◆責任ある漁業を生かす海洋基本法の制定:日本の国際貢献の立場から                      *************************************************************松 田 惠 明
 私は、1968年に米国に留学し、ジョージア大学大学院生、ウッズホール海洋研究所海洋政策フェロー、世界銀行水産コンサルタント、東西センターの海洋政策フェローを経て1980年に帰国しました。帰国後、鹿児島大学水産学部に存在した日本で唯一の「国際海洋政策学講座(1980-2004年度)」の担当者として、国際海洋政策分野の教育研究に25年間携わってきましたので、かって隆盛を極め、いまや起死回生が迫られている水産・海運・造船業やこれからの海洋開発産業の重要性も熟知しています。今日は、私の経験を踏まえて、責任ある漁業を生かす「海洋基本法」の重要性について、日本の国際貢献という立場から述べさせていただきます。
国連海洋法条約の発効やリオデジャネイロで開催された地球サミットによる持続可能な開発宣言により、世界各国は海洋と沿岸域の総合的管理に熱心に取り組み始めています。しかし、我が国では、依然として、海洋に関する行政は多数の省庁が縦割りで行なっており、新しい海洋秩序に基づいてこれらを総合的に実施する明確な海洋政策が策定されていません。このままでは、世界的な規模で進行している海洋の開発、利用、保全の取り組みから我が国は取り残される恐れがあり、それに危機感を抱いた日本財団は、海洋政策シンクタンク「海洋政策研究財団(旧Ship & Ocean財団」」を平成17年4月から発足させ活動を展開しています。 2002年5月発表の「海洋と日本―21世紀における我が国の海洋政策に関する提言」に始まり、広く識者から意見を求め、海洋政策研究に対する支援、150回を越すShip & Ocean Newsletterの発行、海洋フォーラムの開催、海洋白書の発行など一連の活動を積極的に進めており、敬意を表します。
 
1.海の可能性
 陸の資源の有限性が顕著になってきて、海洋資源の重要性が脚光を浴びています。日本人の海との歴史的な関わりと共に、日本は4方を海に囲まれ、南北に約3,000kmに伸び、地球1周の85%を占める35,000kmの海岸線をもち、その排他的経済水域は447万平方キロと世界で6番目に広いという海の利用に関する日本の比較優位性は世界的に見て明らかです。日本の将来はこの特徴を生かせるかどうかにかかっています。
海洋資源には、生物資源や海運や海洋エネルギー資源のように更新可能な資源と非生物資源のように更新できない資源があります。また、石油・ガス・マンガン団塊・熱水鉱床・ガスハイドレートのような海底資源や海水成分の抽出による淡水やミネラル資源等も海の資源として注目されています。そして海洋レジャーをはじめ海上空港など海洋空間を利用する可能性もあります。自然発生的な水産や海運や海洋レジャーのための海の利用は人類の歴史と共にあり、国が意識され始めてからは、国防資源としても利用されてきました。その他の海の利用は、海洋開発産業界の関心の高まりと共に注目を浴びていますが、比較的最近のことで、海底ケーブルの設置や海底油田開発並びに臨海工業地帯建設等の一部を除けば採算面・環境面・作業面・技術面・制度面等でまだ多くの問題を抱えています。このような海洋資源を賢く利用するには、莫大な投資が必要で、それを支える国民的サポートが必要です。
 そこで注目されるのが、既にインフラが整備され、適当な投資で、手取り速く国民へのアピール効果が期待される「水産」です。世界の人口は既に64億人を超え、その内30億人が十分な食事に恵まれず、しかも8億人は飢餓線上にあるといわれています。人類の生存にとって「食や文化の多様性」の重要性にも関わらず、現在の世界の潮流である食やライフスタイルの西欧化はそれに逆行しています。全ての人が西欧化した食生活をすれば、この地球が支えられる人口は34億人との試算もあります。地球の7割を占める海からの食糧生産の道「水産」を無視して人類の食糧安全保障は考えられません。一方、「水産」は栄養塩の回収産業として他に比類のない産業です。陸上から海に流れ込む窒素や燐などの栄養塩の約7%と海水に溶けている二酸化炭素の一部が魚介藻類を収穫する「水産」によって回収されています。もし、「水産」がなければ、沿岸域の富栄養化は進み、赤潮や青潮、磯やけなどの問題や地球温暖化問題は益々深刻になります。したがって、「水産」を無視して人類の環境安全保障は考えられません。他方、日本人の生命線に直結し、日本の輸入産業の第1位と第2位を占めている石油産業と水産業の経済効率性を問うと、100人中99人は躊躇せず、石油産業の方が水産業より経済効率性が高いと答えるでしょう。しかし、石油も有限資源の一つです。石油産業は短期的に経済効率が高くても、長期的には限界があります。50年、100年、1000年の単位で経済を考えるとき、更新資源を利用する「水産」の経済効率は石油産業とは比べ物にならないほど大きいのです。
 さらに、日本がリーダーシップをとって国連海洋法の規定に従い、日本を取り巻くオホーツク海、日本海、東シナ海、西部太平洋に全ての沿岸国・地域をメンバーとする民間の地域漁業管理機関を政府と民間の協力で作って漁業管理に徹していたら、北方領土問題、竹島問題、尖閣列島問題や中国の海底石油採掘問題、さらに、西部太平洋のマグロ漁業問題等についても、お互いが納得の行く解決法が考えられたのではないかと悔やまれます。
このように、水産は「水圏と陸圏との架け橋」としての食糧・環境・経済安全保障のみならず、辺境における雇用創出産業として、「沿岸地域の社会経済安全保障」に、医薬品開発や海の多目的利用等を含む「教育研究開発」に、さらに、徹底した平和外交とバランスの取れた国造りを目指す「国家安全保障」に貢献します。現在、漁民による植樹運動が、漁村と農山村を結び、全国的に注目を集めています。さらに、私が直接関わっている「海の森づくり運動」も栽培技術が確立しているコンブ等大型海藻の栽培を中心とした人工海中林造成による沿岸域環境の浄化並びに水産資源倍増による漁村の活性化と生産物の利活用を中心とした循環型社会の構築を目指して、その輪が日本中のみならず世界に広がろうとしています。海藻の森は、不特定多数の生物をはぐくみ、多様な生態系を作り、越前くらげのような単一生物の異常発生を防止します。問題は「如何に賢く水産資源を利用するか?」です。万物の霊長と呼ばれる人類の知恵が試されています。
さらに、いま、伝統的な海のしきたりを近代法制の中に取り入れた日本オリジナルの「漁業法」と行政機能を備えた「漁業協同組合」が世界的に注目を集めております。それは、これまでの欧米を模範とした200海里以降の水産政策がどこも、過剰投資や高級魚の乱獲と環境問題の壁にぶち当たっているからです。そこで、過去の反省をふまえ、多様な利用が考えられる海洋の責任ある総合的利用と日本が特長とする責任ある漁業を生かした「海洋基本法」を作り、世界に範を示すことは、新しい「海の時代」を開き、「海の時代」における日本のユニークな国際貢献に繋がります。
 
2.国連海洋法の盲点
 10余年の歳月を掛けて、多くの国々が参加して成立した国連海洋法は、現在、「海の憲法」とも呼ばれています。これは200海里時代を実現した無血革命で、国連史上のみならず、人類史上初めての快挙でした。当初、海運国主導で始まった第3次国連海洋法会議は、多くの途上国の関心を集め、これまでの「公海の自由」の原則を大幅に削減し、沿岸国の資源囲い込みを実現しました。これによって、沿岸国は広大な排他的経済水域の管轄権をもち、国の裁量が問われることになりました。問題は「如何に賢く排他的経済水域の資源を利用するか」です。水産後進国にとっては、これは漁業振興の契機となり、行政部門並びに企業部門が強化されました。しかし、その結果、漁業における過剰投資や高級魚の乱獲が進み、漁業への期待もここ20年で大きく後退しました。それは、欧米主導の国連海洋法の限界を示しています。
現国連海洋法は、世界の漁業生産の約60%、養殖生産の約90%、貿易総額の約40%を占めるアジアの多様な水産実情を反映したものではありません。アジアと欧米は人口密度、歴史、食文化、対象となる魚種構成等全く違った背景があります。それは、海の利用に関して長い歴史をもち、世界でもユニークな魚食文化を生み出したアジアからの情報発信が限られていたこととも関係しています。また、富栄養のお陰で、海洋全体のバイオマスは増えているのに、乱獲が問題となっています。これは、特定の高級魚が小型化したり、獲れなくなったりするだけで、これにこだわらなければ問題ではありません。市場は、需給関係で動きます。市場原理の下では、ある時には獲れなくなった飼肥料用のニシンやイワシが高級魚になったり、ブリのように高級魚だった魚が、養殖もされるようになり、供給が過剰になるとキロ当たり500円を切ることもあるのです。つまり、欧米のように特定の魚にこだわるリスクは非常に高いのです。
国連海洋法の第1の問題点は、漁業管理手法としてこれまで一般に利用されてきた漁具・漁法規制などの入口規制より、欧米で発達した出口規制である総漁獲許容量(TAC)制度を重視したことです。TAC制度は元々単一魚種を対象とした資源管理手法で、多漁具・漁法・時期による生態的に関連しあう多魚種を含む多様で複雑な漁業管理を目的としたものではありません。このような概念は、国際捕鯨委員会(IWC)の規定にさかのぼるまでもなく、国際漁業では日常的に実施されてきたものですが、漁獲統計の虚偽報告、混獲、低級魚の海上投棄等の問題が指摘されています。また、かって数ヶ月間の漁期を享受していた北太平洋のオヒョウ漁業は、今ではTAC制度の下で数週間の漁期に短縮され、採算が取れなくなりました。このように、資源管理の成功が、漁業管理の失敗に繋がる危険性をはらんでいます。さらに、これまでの国際漁業を規定している漁期毎のTAC管理は、20年以上の投資対象となる漁船の経済性を配慮したものとはいえません。重要なのは、漁業管理で、その中で、資源管理が位置づけられる必要があります。現在の制度は、本末転倒です。
第2の問題点は、資源量評価が技術的にも、経済的にも簡単に出来るとの前提に立脚していることです。実際に、資源量評価はそれ程簡単ではありません。ミナミマグロ類保存委員会によるミナミマグロという単一魚種を対象とした資源管理を考えても、一旦TACを決めて管理しようとすれば、漁獲データを正確に把握するだけでなく、常に科学的調査を別個に行なう必要があります。それは、漁獲データに基づくTACの設定では、漁獲量がTACに満たなかった場合にのみ、TACの変更が考えられ、TACは下方修正しか選択できなくなるからです。したがって、北海道の猿払村漁業協同組合のホタテ漁業のように、個別調査を自らが実施し、漁業者全員が情報を共有し、管理に徹する場合等を除いて、TAC制度の適用は費用的にも、物理的にも非常に実践が難しいのです。さらに、対象魚種は、生態系の一部として存在しており、それ自体が独立しているわけはありません。したがって、生態系全体を考えた漁業管理手法の確立が課題です。
第3の問題点は、科学的ベースに基づいて資源管理をすることとなっていますが、その基礎になる漁獲統計の質の問題について一切触れられていないことです。200海里時代に入って、地域漁業管理機関の努力にも関わらず、漁獲統計の質は改善されておりません。また、TACや漁獲統計に基づく資源管理を実施するには、リアルタイムのデータが必要ですが、これに対応できる制度が確立されているところは非常に限られています。現在、世界で最も信頼性があるとして使われているFAOの統計は、ある基準に基づいて集められた統計ではなく、殆どの国がばらばらの基準で作った統計を集計しただけのものです。したがって、その科学的根拠は一部を除いて殆どありません。国際的に通用する漁獲統計収集制度の確立は、緊急課題です。
第4の問題点は、国の管理責任が強調された結果、殆どの国で、漁業者が管理される者と誤解されたことです。これではいくら管理(MCS)コストがかかっても仕方がありません。元来、国の管理がなくても漁業や資源は持続可能です。この場合、漁業者は自分の責任で、漁業に参入したり、漁業から手を引いたりします。政府の補助金や異常な需要がない限り、自然の変動の範囲で、漁業や資源は維持されて行きます。したがって、管理するという場合に期待されることは、単に自然の変動任せの生産の10倍あるいは100倍、1000倍の生産性の向上です。管理費用はそのためのもので、現状維持のためものではありません。したがって、低い管理費用で効果を挙げるためには、政府と漁民が協力する共同管理(Co-management)以外に道はありません。日本では一般的な漁業協同組合を核とした政府と漁民との共同漁業管理の例は諸外国では殆ど皆無で、これからの漁業再建の切り札として、いま、世界が注目しています。
第5の問題点は、過激な環境保護運動や漁業国日本への偏見と連動して、漁業が恰も環境保護運動と対立するような錯覚を起こさせていることです。我が国の水産庁の必死の努力にもかかわらず、健全な商業捕鯨を促進するためにできた国際捕鯨委員会(IWC)の規定は、科学委員会を無視した国際政治に翻弄されています。1990年までに資源の包括的な評価をすることを前提に、1982年に商業捕鯨モラトリアムが可決され、1985年漁期から南氷洋捕鯨が、1986年から沿岸捕鯨がそれぞれ5年間禁止されました。しかしながら、その後も、多数を占める反捕鯨加盟国の圧力で、いまだに商業捕鯨は再開されていません。その間、鯨類を含む海産哺乳類は増え続け、漁業と餌を競合しています。現存する鯨の捕食量は2.8億トンから5億トンと推定されています。これは現在の世界の漁業生産量1.2億トンの3-4倍です。また、多くのイルカや海産哺乳類が、世界各地で座礁するという異常事態が続いており、鯨類間の餌の競合も指摘されています。グリーンピースなど過激な環境保護運動が、これまで環境を無視し続けてきた大量消費文明に警告を発し、ある程度の効果が認められたことは評価できますが、商業捕鯨の禁止を南極海全体のみならず、インド洋や南太平洋、さらに南大西洋全体に広げようという提案など責任ある漁業に敵対する方向での活動は遺憾です。彼らは鯨の次はマグロと考えています。そうなれば、日本人の食生活も大きく変わらざるを得ません。重要なことは、環境保護運動が自然との共生産業としての責任ある漁業と一緒になって、自然や文化の多様性を認め、大量消費社会に起因する陸起源の環境問題を解決することではないでしょうか?「過ぎたるは及ばざるが如」です。

3.責任ある漁業を生かす海洋基本法の重要性と日本の国際貢献

 前述のように、新たに海洋開発を進めようとすると莫大な研究費と膨大な時間が必要であり、十分な国民の支援が必要です。しかしながら、国民の理解を得るためには、十分な説明が必要です。そのために、責任ある漁業を生かす海洋基本法を制定し、もっとも効果的な方法として、世界の模範となる「責任ある漁業」の振興を海洋産業界全体がここ10年の時限で支援することを提案します。その波及効果は、日本の津々浦々に分布する沿岸漁村を活性化し、国民の水産や海に対する意識を変え、ひいては国民の海洋産業界全体への理解を深めます。
 一方、日本にしかできない国際貢献とは何かを考えると、それは非常に限られています。水産分野はその中でも最有力候補です。「国連海洋法」が、「真の海の憲法」となるためには、短期の経済性のみならず長期的展望をもつ社会経済性並びに生態系を重視した改訂が必要です。そのためには、欧米が真似のできない「責任ある漁業」を生かす「海洋基本法」が必須であり、日本での実験が必要です。日本では、「国家総合安全保障」の見地に立って、縦割り行政の弊害を除けば、このような「海洋基本法」の制定は可能です。
(鹿児島大学名誉教授・世界銀行水産コンサルタント・北大・水・昭41)
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